携帯からアクセスしたときにブログタイトルが長すぎて見にくかったので
「はたらくおっちゃんミニレポ集」から「ミニレポ&雑記帳」に変更しましたm(__)m

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原作の最終回に納得できなかった私なので、どうしても原作準拠だった新シリーズのアニメにも厳しい見方をしてしまいます。しかも、またもや原作の最終回と絡めて辛口になってるところもありますので、そういうのが大丈夫な方のみご覧くださいm(__)m







2009年4月に始まった「鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」も去る7月4日に最終回を迎え、月刊少年ガンガン2001年8月号から連載が始まった荒川 弘さんの「鋼の錬金術師」がついに完結となりましたね…と書くはずが、その「鋼の錬金術師FA」最終回(第64話)の最後の最後で一瞬だけ映し出された「劇場版 鋼の錬金術師 製作決定」の文字。思わず「えぇ~っ! いまさら何をやるん~!?」と叫びそうになりましたよ。いや、ほんと、何をやるんだろう…。ちなみに、その映画には入江監督は関わってらっしゃらないそうです。じゃあ、誰がやるのかな…あとストーリーや脚本も、原作者の荒川さんが新たに書き下ろすのか別の人が書いたオリジナルになるのか、そのあたりも気になるところです。

鋼の錬金術師FA 第64話より


さて、その最終回ですが…新シリーズ(水島監督版を1期って呼んでるらしいんで、この入江監督版は2期って言う?)のアニメスタッフさんは4月ごろに荒川さんからもらったネーム(漫画を描くときに、どういうコマ割りにして、どこで誰にどういうセリフを喋らせるか…ということを書き込んだもの)を元にアニメを作られたそうですね。ときどき入江監督のツイッターを覗いてたんですが、ほんとギリギリまで作業に追われて大変そうでした。でも、そのわりには冒頭の病院のシーンでアニメオリジナルが入った以外は、あちこちカットが多いながらもほぼ原作を忠実に再現して、この入江監督版の特徴である「原作準拠」という意味ではまあ良かったんではないでしょうか?

あ、でも…原作では大将の肩章をつけてたロイがアニメではコートを羽織ってて肩章が見えなかったんで「もしや大総統に?」と思った最後のシーン。あのシーンの、まるでヨキ様かと思うようなチョビ髭はあかん…何であんなの描いたんだろう。もしかして、ネームの段階では髭らしきものがあったのかなあ。で、荒川さんも途中であまりの似合わなさに止めたとか…そうでないと、何でわざわざ付け足したかが分かりません(^^ゞ

鋼の錬金術師FA 第64話より


まあ、そういう細かい改変はあったとしても、やっぱりこの入江監督版はあくまで「原作準拠」なんですよね。つまり、私がガンガン7月号に掲載された最終回を読んだときに感じた、あの何とも言えない残念な気持ちが拭えるわけではありません。その原作の最終回の感想はこちらにありますが、辛口でも大丈夫な方のみどうぞ。ほんと、もともとのテーマや素材はとてもいいものだったのに、何で途中からあんな薄っぺらな展開・ご都合主義だらけの終わり方にしちゃったんだろう…いくら少年マンガだとは言え、最初から謳ってるテーマとあまりにかけ離れてしまって残念でした。しかも、原作を読んで凹んでるところにすぐまたアニメで同じような展開を見て、さらにがっかり感が増したというか…(;^_^A

そういや、荒川さんってすごく中国が好きなんですよね。荒川さんのほかの作品でも中国を舞台にしたものがありますし、この「鋼の錬金術師」という作品の中でも中国系のキャラが主人公より目立った活躍をしたり、禅の思想を思わせる言葉が出てくる…なんてことが多かったです。最後のエドと真理とのやりとりも、結局は禅の中の「悟り」ってことなんじゃないかと…私も詳しくないんで分からないんですけどね。で、それだけ中国が好きなのはよく分かるんですが、この作品の中では少しその作者の趣味を前面に出しすぎたんじゃないかなあと感じました。そのせいで肝心なところが大きくブレてしまったとも思いますしね。

あと、改めて思い返してみると、この荒川さんの発言には物議を醸すものが多いんですよね。最終回のあとに語られた「エドが得たものの中から要らないものをアルの代価にした」なんて言葉はもう私のトラウマです。また、インタビューのたびにお話が変わるなんてことも本当に多かったです。もちろん人間なので長い年月の中で心境の変化は当然あるだろうし、それがまた人間らしくていいってところもあるかと思います。でも、それも度を過ぎるとねえ。

そのインタビューとかでいつも何かと豪語されてるんですが、マンガではそれが伝わってくるようなシーンがあまり描かれてない、ともすればインタビューの発言とは真逆のことを描いてる…など首をかしげざるを得ない部分がいくつもあるので、水島監督版のブームが終わったあとからは少しずつ「読むのを止めた」「コミックを買わなくなった」なんて人が増えてきてるんだと思います。私も大好きな作品だっただけに出来るだけ良い方向に受け取ろうと思ってきましたが、思わず「言ってることとやってることが違うやん!」とツッコミを入れたくなる発言が多すぎたように思います。


で、そんな原作を元に入江監督版の脚本を書いた大野木さんも、さぞかし大変だったでしょうね~。あまり自分のカラーを出すと「原作準拠なのに何で変えたの?」って言われるし、だからと言って原作そのまんまをアニメ化したんだと「原作に色がついて動いてるだけだから面白くない」とか言われちゃうんでしょうし…。しかも、あれだけ原作の設定に矛盾が多いと、どうまとめていいか悩んだことも少なくなかったんじゃないでしょうか。とはいえ、この入江監督版の方にも、原作の中のカットしていいシーンと残すべきシーンの判断基準がちょっとファン目線とは違うかなあってのが結構ありましたけどね(^^ゞ

鋼の錬金術師FA 第64話より



ところで、水島監督版のアニメは原作ファンの一部の方に「黒歴史」なんて呼ばれてるんだとか…このまえ水島監督版のハガレンが好きだった友達から聞いて愕然としました。あ、この「黒歴史」って言葉は「∀ガンダム」に出てきた言葉で、作品中では過去に起きた宇宙戦争の歴史のことを指すんだそうですが、いまは「なかったことにしたい・なかったことにされてる過去の事象」を指すスラングとして広く使われてるんだそうです。

でも、何でそんなことを…?
その理由の1つとしては「原作の世界観を大きく外れた(壊した)二次創作作品だから」なんだそうですが、それを聞いてまた唖然…。だって、水島監督版は荒川さんに原作の展開をおおよそで聞いて、荒川さんからの「原作と展開が被らないよう、アニメは別の終わり方にしてほしい」という意向に沿って作られたものなのに…。原作ファンが尊敬してやまない先生の希望を素直に聞き入れて別展開で制作し、原作に敬意を払う意味で「二次創作」って言ってるのに、何でそんなふうに言われちゃうんでしょうねえ。

しかも、実際あの水島監督版のおかげで広く世間に「鋼の錬金術師」という言葉が知られるようになったし、アニメ放映をキッカケに飛躍的にガンガンやコミックの売り上げも伸びたのに…さらに言えば、国内外で数々の賞を受賞したのも水島監督版の方なのに、何だか悲しいことです(>_<)

私なんかは、最後まで自分たちの罪から逃げることなく、その罪の形と向き合って悩み苦しみながらも必死で前に進もうとしてた「痛みのある」水島監督版が好きだったので、原作のような「主人公は決して手を汚さない…そのへんの敵を倒すのは周りの大人が代わりにやって、最後のかっこいいところだけ主人公がやる」とか「錬成したのはお母さんじゃなかったから、俺たちに罪はない…そうとなったら真理の野郎をぶっ飛ばして奪われた体を取り戻す!」みたいな身勝手なノリにはどうしても辟易としてしまうんですが、それでも水島監督版のときより視聴率も売り上げも下がってしまったらしい入江監督版とその元になった原作を「黒歴史」なんてことは思わんけどねえ…。





何はともあれ、とりあえず原作とそれに準拠したアニメが終わったってことで、一応は一区切りってとこですかね。親愛なる大島ミチルさんが「鋼の錬金術師」という作品の音楽を手がけることになったと知ったときからこの作品を追いかけてきて、作曲の段階でも色んなお話を聞かせてもらい、劇場版「シャンバラを征く者」のときはロシアだけでなく日本でもダビングが行われたってことで、うちでも録音レポを作らせていただきました。

その後、入江監督版では音楽は千住さんになりましたが、こちらもヴァイオリンのマサさんやそのほかの方から録音の様子を聞かせてもらえたりして、マンガやアニメとはまた別の「劇伴」という目線から2つの作品を見つめ続けていくことができたことは幸せでした。ほんと、何だか感慨深いなあ…。

色々と辛辣な言葉を並べてしまって原作ファンの方には申し訳ないんですが、それだけ私がこの作品に入れ込み、そして期待もしてたってことをご理解いただけたらと思いますm(__)m




↓12月9日追記

入江監督版が始まってからずっと不思議で理解も納得もできなかった声優変更の理由について、プロデューサーの米内則智さんがその理由を語ってるインタビュー記事を教えてもらいました→こちら

水島監督版と原作ならびに入江監督版のキャラでは性格も設定も違う。その違いを、つまり水島監督版のイメージが残ってる声優さんにその演じ分けを求めるのは酷だと思ったから…みたいな理由のようです。その1つの例としてロイのことを挙げてます。

う~ん、でもそれを言い出すと、主役の兄弟だって水島監督版と原作&入江監督版でだいぶ性格が違うのに声優さんはそのまま変更なし。逆にフュリーやファルマンはどちらの監督版もそんなに差がないのに声優さんを変えてる…これはどう説明するんでしょうねえ。何か、ほんとの理由は別にあって、表向きこう答えてるって感じもしますね。残念です。




当ブログ内での主な関連記事


☆鋼の錬金術師FA オフィシャルガイドブック    

☆鋼の錬金術師 パーフェクトブック

☆鋼の錬金術師FA 第20話~第24話の感想と色トレスについて

☆鋼の錬金術師FA 作画について

あっというまに最終回で


1年間みつづけていたので、おわってしまうのは残念です。
映画たのしみです。
2010/07/07 17:52 |mkd(ピンポイントplus) URL編集 ]

コメントありがとうございます♪


mkdさま

私も何だかんだ言いながら1年3ヶ月、1週も欠かすことなく見てきたので、寂しいようなホッとしたような…不思議な気持ちです。
映画はどういったものになるのか全く想像がつかないので、今後の情報および公開が楽しみですね(^-^)
2010/07/07 18:22 |ゆみ URL [ 編集 ]

こんにちは



はじめまして、ブログ検索から飛んできたので時差のあるコメント失礼します。

私は完全に前アニメ化決定前からの原作標準ファンです。
だから、前アニメが黒歴史といわれてる理由もわかります。
前アニメは確かに重かったと思います、一応原作よりは。けど、少年漫画を原作とした作品としてはどうだ?と感じるのです。重く、深い話ではあれど、どう見ても対象年齢が違うとしか原作よりの意見としては、見えないんです。
特にロゼのくだりなどは、荒川先生自身許可すべきじゃなかったと言っております。おそらく初連載でそこまで話も進んでない中でのアニメ化、でしたので自分よりもプロにたくした方が、と考えたのかもしれません…しかし予想以上に話が荒川弘の鋼の錬金術師とはかけ離れてしまった、だから製作サイドも今回スーパーバイザーに担当者の下村さんを呼んだのかと思います。
前アニメサイドには当時原作で出ていなかった少将の資料なども渡していたと言いますし、荒川先生自身が本当にアニメ化がどうなるかわからないまま、とにかく持ってるものを出してあとは自分はアニメ屋じゃないから頼んだ、と言う感が否めません。ので大体の要求にはOKを出してしまったような。
むしろ前アニメは「原作」が鋼の錬金術師なのではなく、「原案」が鋼の錬金術のような印象で、だからよけいに「原作が基本」からしたら黒歴史扱いなのだと。

>水島監督版のときより視聴率も売り上げも下がってしまったらしい入江監督版とその元になった原作を「黒歴史」なんてことは思わんけどねえ

それは当たり前だと思います。
原作がなかったら前アニメもなかった、それなのに原作自体を黒歴史扱いする人がいるでしょうか。いるとしたら失礼ですが、よほどの腐の方だと思いますが。

そもそも原作の最終回自体、荒川先生は鋼の錬金術師を描き始めたときからどういうものにするか決めて描き始めたそうです。自分の考え方が変わらない限り、最終回も変わらないだろうと、いつかおっしゃっていました。
だとしたら、読者の見方を変えたのは前アニメではないでしょうか。当時まだ中学生だった、要は作品の対象であるはずだったわたしにしたら、どうして鋼なのにこんなに暗いし少年漫画じゃないの、としか思えませんでしたし、未だにあれは別物だと感じてしまいます。大人向けだ、と。
前アニメから入った読者はたくさんいると思います。そして、前アニメから入った、ということはつまり前アニメが好きだったから、ということになるんじゃないでしょうか。
そもそもの原作好きと前アニメ好きの最終回や展開に関する齟齬はそこら辺にあるんじゃないかと感じます。

失礼ながら、わたしは前アニメは好きじゃありません。登場人物が身勝手すぎて弱々しく見えて原作の心身ともに強い前向きなエドたちとは違く見えるからです。
けれど前アニメのそれがいいと言う人もいます。結局、どこから入ったかや何が好きかによって、見方が変わり批判などに変わるのだと思います。わたしは別に、前アニメを認めないとは言っていません。当時、アニメはアニメで違うメディアだ、と飲み込んだからです。

つまりまぁ、長くなりましたが何が言いたいかと言えば、荒川先生は初めから最後まで決めて描いていて、だからご自身の中では当初のテーマから逸脱していないものに出来上がっているのではないでしょうか。だから、初めのテーマから変わった、ということはないと思います。
そう感じるのは、見る側、受け取り手がなにを基準にしているか、なんじゃないでしょうか。


長くなりましたが、そう感じたのでコメントしてしまいました。
失礼なことを言って傷付けてしまっていたならば、ここに謝罪いたします。
加えて長文乱文、大変失礼いたしました。

2010/07/11 12:55 |通りすがりの名無し URL [ 編集 ]

コメントありがとうございました♪


通りすがりの名無しさま

貴重なご意見、ありがとうございました。
私は水島監督版が始まるころに、その当時に発売されてたコミックを何巻か読み、放送開始後はコミックも読みつつアニメも見つつ…で、原作との違いや脚色具合なんかを楽しんでたので、水島監督版を見てハマってから原作を読んだファンの方とはまた少し違うかもなあ…などと思っています。

それはさておき、もうご存じだと思いますが、この作品に限らず原作があるものをアニメ化する場合は、監督さんや制作スタッフの方々だけでなく、放映テレビ局のプロデューサーさんや原作の出版社の担当さんなども加わって意見を出し合うので、原作とは違う方向に行くのは仕方のないことなんですよね。だから当然「別物」と考えるべきだし、原作とは違う内容だから…とか、原作の対象年齢と違うから…という理由で黒歴史なんて呼び方をしてしまうのはどうかと思うんです。特にこの作品においては、原作者の荒川さん本人が「原作と全く同じならアニメという別メディアに乗せる必要はないと思う」と発言し、そして「原作とは別の展開・終わり方を」と望んだその結果なんですから、原作と原作者を応援するファンとしてもその存在を認めるべきなのではないでしょうか?

これが次の↓こちらのお話につながるんですが…

>原作がなかったら前アニメもなかった、それなのに原作自体を黒歴史扱いする人がいるでしょうか。いるとしたら失礼ですが、よほどの腐の方だと思いますが。

水島監督版が好きで、でも本当は原作も好きで讃えたい気持ちはあるのに、熱心な原作ファンが水島監督版を執拗に叩くので「売り上げも視聴率も水島監督版と比べると桁違いに低いのに、それでも叩くなら結果を出してからにして」みたいな意図からそう呼んでる人がいると聞きました。あ、いまも原作はよく売れてると聞きますが、それでも水島監督版が放映されてたころに比べると減ってるようですし、ずっと買ってきてるから取りあえず…と惰性で買ってる人も多いようですしね。ガンガンなんかは、水島監督版の終了後から目に見えて売り上げが落ちてるとも聞きました。

世の中には、原作とそこから派生した水島監督版のような二次創作作品の両方を分け隔てなく愛している人も大勢います。それを認められない原作ファンの「あんなの鋼じゃない。黒歴史だ!」なんて心ない言葉があるから「そっちこそ、右肩下がりな結果しか出せてない黒歴史だ」なんて醜い論争が起こってしまうんじゃないでしょうか。もちろん原因はこれだけではないでしょうけれど、これが大きな原因と1つと言えるのではないかと思います。あ、その「腐」というのはある趣向を持った一部の女性を指す言葉だと聞いてますが、この場合はそういうことは関係ないんじゃないかなあ。

また、その荒川さんの「許可すべきではなかった」という発言についてですが、あれは原作ファンの方が勝手に「ロゼの件だ」と断定したのであって、実際には荒川さんは「ロゼ」という言葉を一言も発したわけではないですよね。私はそう記憶しています。まあ、時期からすればあながち外れてはないのかもしれませんが、それにしてもファンの勝手な憶測にすぎないことかと思います。

で、そもそも公的な立場にある原作者が一度OKを出したものに後から「認めるべきじゃなかった」なんて発言をすること自体が、ちょっとお粗末だなあと思いますよ。たとえ本心がそうであったとしても、それを口にすべきではないと思います。この発言に限ったことではないですが、とにかく荒川さんの何気ない発言からトラブルになったことは一度や二度じゃないので、もう少しご自身の立場と発言の影響力を考えて行動してほしいなあとは思います。

そのロゼの件ですが、結局そうしたシーンがハッキリと描写されてたわけではないでしょう。ただ、言葉を失ったロゼが赤ちゃんを抱いて帰ってきただけです。そのあたりは水島監督も脚本の會川さんも少年漫画であることや放送時間帯に対して十分に配慮をしていたんじゃないでしょうか。まあ、會川さんの「戦争の悲惨さを描きたかった」という気持ちがああいう形で表されたことには「戦争の悲惨さを描くことは大事だし、事実そういうこともあったけど、ここでは別の描き方でも良かったのではないか…」とは思いますけどね(^^ゞ

それよりも、原作ならびに入江監督版で大勢の人が血まみれになって死んだり、腕を切り落として犬にくくり付けて走らせたり…ということの方が、私は少年漫画としてどうなんだろうと思うんです。犬がランファンの腕をくくり付けて走ってるシーンなんか、ハッキリと描かれてましたもんね。少年漫画を読む小さい子にとっては、ああした描写こそショックが大きいように思うんですが、そのあたりは通りすがりの名無しさんはあまり気になりませんでしたか?

あと、通りすがりの名無しさんは、水島監督版が放映されてた当時は中学生だったとか…。そうした学生さんと、すでに成人して…場合によっては自身の子供を持ってる人が見るのとでは、当然のごとく感じ方も違ってきますよね。私なんかは、原作のエドの方がより身勝手に見えてしまうのです。原作の感想記事(↑本文内からリンクしてます)にも書きましたが、禁忌を犯した罪はどこへいってしまったんでしょうか。お墓を掘り起こしてみたらお母さんじゃなくてホッとした…そんなところに自分の犯した罪の救いを求めてしまうエドが、果たして本当に強いんでしょうか。自分の罪を何物にもすり替えることなく受け止め、そして向き合い、それを背負って生きていく方こそ本当に心の強い人間なのではないか…そんなことも思ってしまったわけです。ただまあ、そこへ行き着くまでは色々と悩んだり葛藤もするので、弱々しく見えるかもしれませんね。でも、それが人間だし、そこから前に進んでこそ成長じゃないですか?

前のアニメを作る際に水島監督が荒川さんに「アニメでは兄弟の成長を描きたい」と話したんですよね。すると荒川さんは「ですよね!原作ではエドがレベル100のところから始まってますもんね!」という発言をしてたので、ああいう弱々しいエドも原作者が許可したからこその結果と言えばそうなのではないでしょうか。まあ、そうして作られた水島監督版が世間で大好評を博し、原作よりはるかに有名になってしまったことは、もしかしたら荒川さんとしては面白くないと感じてるかもしれませんが…でも、それこそ「何を今更」ですよね。

そこでふと思ったんですが、通りすがりの名無しさんのコメントを拝見してると荒川さんは水島監督版を嫌ってるように感じられるのですが、そうなんですか?

で、確かに原作がなかったら前のアニメもできなかったわけですから、水島監督版のファンはその気持ちに大小はあれど、ちゃんと原作には感謝してると思いますよ。逆に言えば、あの水島監督版で人気が出たからこそ原作も9年も続けてこられたわけですから(初代グリードが出たころに荒川さんは折り返し地点だと発言してますが、あれから先がずっと長かったでしょ?)、やはり原作ファンの方もそういう広くあたたかい気持ちを持ってほしいなあと思いますね。

それから、通りすがりの名無しさんのおっしゃるように、もしもこの原作の全ての流れが最初から最後までほぼ決められて描かれたもので、荒川さんの中ではブレやテーマの逸脱はなかった…というのなら、私の死生観や罪責感とはちょっと違うなあというところでしょうか。水島監督版が好きだとかどうこうではなく、人として「罪を犯したら償う」という当たり前の視点から見ると、原作の展開は荒川さん自身が発言した「人間の罪を提示したい」というテーマからは逸脱してるように感じたのです。それは、この作品を知った経緯が何であったか…ということもあるでしょうけれど、それよりも読み手のそれまでの人生経験や「罪と償い」ということについてどう考えてるかによって感じ方は変わってくるものだと思います。そのあたりのことも原作の最終回の感想で少し触れてありますので、お気持ちに余裕があるようでしたら読んでみてください。

私も長々と書いてしまい、中には通りすがりの名無しさんに嫌な思いをさせてしまったところも多々あるのではないかと思いますが、どうぞお許しください。要は互いの存在を認め合うことが大事なのではないか…ということです。もちろん好き嫌いはあります。それは当然です。でも、だからといって一方を「ないもの」「なかったものにしたい」という見方はいけないと思うということですね。

あとは、何度も出てた「ダークファンタジー」「命の尊さを描く」という制作サイドの謳い文句や、荒川さんの「兄弟には最後にきっちり罪を償ってもらう」「人間の罪を提示したい」などの言葉を信じて最後まで見てきた結果、それが私にとっては肩すかしなものだったってところでしょうか。

お話できて嬉しく思いました。ありがとうございましたm(__)m
2010/07/11 18:04 |ゆみ URL [ 編集 ]

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